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「すみません」のひと言

最近、言える人は非常に少ないのではないか。

先日、朝の通勤ラッシュ時に、座席が埋まり、扉や席の前に立つ人がちらほらいて、かろうじて人が行き来できる位の混雑状況で、私は扉から少し離れた、座席の中央に近いところに立っていたのだが、いきなり若い女性にぶつかられた。ちょうど斜め後ろにも人が立っていて、どうやらその間を通ろうとしたのだと思うが、けっこう強くぶつかってきたのにも関わらず、何のひと言もなく、そのまま通り過ぎてしまった。私は腹が立った。

ぶつかったら「すみません」のひと言ぐらい言えないのだろうか。また、通る前にひと言言ってくれれば、よけるぐらいのことはするだろう。「人としての機能」ぐらい満たして欲しいものだと、常々思う。以前の投稿でも、同じ事を幾度となく書いた。にも関わらずこうやって書きたくなるのは、少なくとも私の周辺では、そういう、いわば「謝らない、自己中な人」ばかりだからである。

連れ合いに聞いた話では、「子供にテレビを長時間見せると、キレる人間になりやすい」ということである。私自身も含むおおよそ20代から30代は、「テレビゲーム世代」と呼ばれ、長い時間ゲームと向き合っているために人との接し方がわからない、という「キレる若者」のはしりだった。

そんな世代を親に持つ今の子供たちは、さらに「キレる」傾向が強いのかも知れない。私自身が経験する、よくある光景だが、人の多い商店街などで若い親子連れとすれ違う際、こちらが子供に「ごめんね〜」等と気を使っても、親子共ども無視されたり(^^;、逆にイヤな顔をされたりする。周りには人とすれ違い様に咳をして知らない人を寄せ付けない子供が目立つ。おそらく親の影響を受けているのだろう。

もちろんそういう人ばかりではないが、街中でそういう光景に出会うと、怒りを通り越して悲しくなってしまう時がある。親は子供に対して「知らない人には付いていっちゃいけないよ」と教えているとは思うが、大人も含めて余りにも「他人を信用しない世の中」になって来ているのが怖い。

ただ、「自己中」な大人が増えているのも事実で、たいてい「自分の思い通りに行かない」という被害妄想的な理由だけで、人に危害を加えたり、最悪の場合は尊い命を奪ってしまう事件も少なくない。私なんかは、そんなニュースを聞く度に「それくらいのことで、なんで?」と思い、同時に「この人もキレてしまったのだろうか」と考えてしまう。こんな事件が自分の周りで起こらないことを思うばかりである。同じ様なことを思っている人は多いはずだ。

話が飛躍してしまったが、「すみません」と思う心は本来の人間は持っているはずであり、それを素直に出せないのは何故かと考えた場合に、ふとGoogleで検索すると、一冊の本を見つけた。

早速本屋に行って買い、読んでみると、「何故『すみません』が言えないか」理論立てて説明してあり、「『すみません』が言えない人との接し方」も詳しく書いている。上の方で書いたような「被害妄想から起こった事件」についても解説していて、私はイッキに読んでしまった。私のような、「何故人は『すみません』が言えないのか」疑問な人、「自分の非を認めない人とどう付き合えば良いか」悩んでるマジメな人なんかは、読んでみることをオススメする。

・・・結局は本の宣伝みたくなってしまったが・・・(^^;。

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