気になる彼女?

どうしても、気になったので・・・

なにげに、「夕刊フジBLOG」の「夕刊フジBLOG記事タイトル一覧配信サービス」のリンク先変更の知らせを受け、久しぶりにブログをメンテしたのだが、その時に偶然見つけたリンクが・・・

韓国動画サイト席巻する「陶磁器女」「フルート女」
(このブログの右下にもリンクあります)

その「陶磁器女」、「フルート女」という、なんだか怪しげな、妖怪チックな名前(^^;に惹かれて、思わずリンクをクリックした。

詳細はリンク先のページを見ていただくとして、実際に出てきた「陶磁器女」の正体は、韓国の動画サイト「TagStory」に投稿されたという、「バレンタインデーに、彼氏のために陶磁器を作りながら告白する、色白の美人」のことだった。確かに、動画を観てみると、のっけから甘い声で、カメラレンズに向かって、彼氏に話すような口調でしゃべる女性の映像が流れてきた。なるほど、多くの男性ユーザーが惹かれそうな女性だった。

この女性が韓国の男性を、マスコミをも巻き込んだ騒動になり、血眼で彼女を捜し当てたのだが、実は女優の卵で、素人のフリをして実在しない彼氏にあてた(ような)ビデオを動画サイトに登録したとのこと。詐欺との声も上がったが、実際に陶磁器関係のイベントの広報大使に選ばれたというから、大したもんだ。まぁ、このカワイさだったら、結局は世の男性たちは許してしまうのか。うん、私なら許してしまうだろう(^^;

しかし、この「夕刊フジBLOG」の記事には、「フルート女」のことに触れてはいるのだが、肝心の動画にリンクが張られていない。GoogleやYahoo!でネット検索してみても、Youtubeを探しても、見つけることができなかった。「胸の谷間が見える赤いタンクトップと、ぴったりした白いパンツ姿でフルートを演奏する」女性を、是非とも観てみたいと思ったのだが・・・(^^;

最近は韓国に限らず、日本でも動画関係のサイトが増えてきているのを感じているが(@nifty動画もしかり)、ブロードバンドも当たり前な時代、なにかもう少し動画の世界を知りたくなった今日この頃である。

・・・決して若いおネェちゃん見たさ「だけ」ではない。決して(^^;

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「ハナ」の素顔は

いや、こんなイイ子、他にいないよ、ほんとに。

最近、白鳥百合子さんのブログを、ちょくちょく覗いている。きっかけは、「仮面ライダー電王」のページリンクが張っていたので、それと無しに行ってみた。私も息子がみる「電王」のハナ役で知ったのだが、最近になってアクセスが増大したらしい(もうすぐ百万アクセス(!))。たしかに、最初の方のエントリでは、コメントが数件付く程度だったのが、最近のエントリでは200~300のコメントがつくのはザラである。今もコメントがあまり付かない(^^;このブログとは、雲泥の差である。

しかし彼女のブログ、白鳥百合子さんの性格がとても出てて、読んでいて心があったかくなる。何しろ、毎日毎日、内容の濃いエントリを書いてくれるのだ。その日起こった出来事を中心に、丁寧に、読む人を気遣っている様子が分かる文章で和ませてくれる。前日までの、ファンのコメントにもきちんと反応してくれるので、ファンにとってはたまらないと思う(^o^。

先日も、「飛行機雲にお願いするポーズ」として、両手の指で三角の形を作る「トライアングルポーズ」について書いていたエントリにファンが反応し、神戸コレクションに出演した彼女がランウェイを歩いているときにこの「トライアングルポーズ」を白鳥さんに向けたところ、彼女はそのファンに対して控えめにポーズを返し、そのことをその日のエントリで報告してくれた。それを読んだファンからは、「感動した」とのコメントが続々と送られ、非常に微笑ましいエントリとなった。

ハナの強烈なキャラクターとは真逆と言って良い程、本人の性格は穏やかそうなので、そのギャップに惹かれるファンは多いと思う。売れてきても決して奢ることなく、自分のことを一生懸命に伝えてくれる白鳥さんに、今後も注目していきたいと思っている。私はさすがに30代子持ちなので、イベント等に行くワケには行かないが(^^;、陰ながら応援したい。

・・・あ、息子と一緒に「電王ショー」に行くテがあるか(^^;

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SNSというもの

これがウワサのSNS・・・

・・・と言っても、チョー有名な「mixi」ではない。(招待されないと入れないんだよね(^^;)
YahooのSNSである、「Yahoo Days」に登録してみた。ここだと、Yahooプレミアム会員なら、とりあえず登録ができるみたいである。前からこの「SNS」(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)というものが気になっていたのである。よく似た名前に「富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ」があるが、まったく別物(っていうか似てないって)。

詳しい登録の仕方はサイトを見ていただくとして、実際に登録していくと、自分のプロフィールだとか、好きなものとか入力する欄がある。とりあえず何も入れないのも寂しいと思い、免許証のコピーを小さくした写真を貼り付け、最低限のプロフィールを入力してみた。そして、日記も少し書いてみた。ありきたりな文章である。ブログのRSSフィードも登録でき、連携できるみたいなので、ここぞとばかりにこのブログのRSSを貼っておいた(^^;

しばらくあれこれコミュニティを探して見ていると、知らぬ間に「足あと」が付いていた。なんだか女性からだ。プロフィールを見ると、如何にも「寂しそう」だったり、「元AV女優」なんてのもいる。しかも短時間に何回も足跡を付けている。う~ん、なんか「釣り」のような気がしてならない(^^;。とりあえずしばらく様子を見てみることにした。

・・・てな感じで過ごしていると、なんだか楽しくなってきた。そう考えると、既に沢山の人が集まっているだろう「mixi」は、もっと楽しいに違いない?とか思うのだが、実際どんなものなのであろうか。あれこれトラブルが起きているとも耳にするが、覗いてみたい気もする。でも招待されないと入れないんだよね(^^;
ま、Yahoo Daysな人は、「表示名」で「Tutchy」を検索してみて下さい。

というワケで、このブログも約11ヶ月ぶりに更新してみたのであった(^^;

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久しぶりに書く

また、いてもたってもいられなくなった(?)

しばらく、ブログを書くのを休んでいた。理由としては、自宅の引っ越しの際にインターネット(ブロードバンド)環境が2週間程途絶えたこともあって、それまで毎日続けていた更新がストップした。その後再びネット環境が整ったのは良いが、途切れた分の記事をどうしようか、毎日複数の記事を投稿して追いつこうか、とかいろいろ考えていると、ブログが「書きたい時に書く」ものから「書かなければならない」ものへと変化していることに気づき、急速に書く気力が無くなって行った。

そもそも「毎日書く」というのはその当時強く思っていたことであるから、それを必死にリカバリしようとしたのは良いが、それでできなかった。とにかく「書いたー。」とか「ほえー。(意味不明)」とかひと言で終わらせても「毎日更新」はできたのだが、なにしろ一本の記事に文字数を多く書かないと気が済まなかった。それだけの文字を埋めるネタを探すのにも疲れ始め、2週間も溜めると記事をBack-Dateで書かなければならないし、そうなると「毎日書く」という意味が無いと思ったのである。

人間というのは面白いもので、何カ月も「毎日更新」を続けていたのが、ある日突然続かなくなると、パッタリと停まってしまうのである。まぁ私の場合、その当時仕事も忙しく、フィルタリングソフトが導入されて以来会社ではブログが更新できなくなり、仕事自体でも相当モヤモヤが溜まっており(^^;、ブログを書く余裕も無くなっていたのだと思う。しかし最近、その忙しさもモヤモヤも自分で処理する能力が徐々に戻ってきて、また書く気力が出てきたのだと思う。

まぁ人生いろいろあるもので、上手く行かないときもある。しかしそこで何もしなくなってしまっては、余計に落ち込む。もちろん精神的に疲れている時は休むのがイチバンだが、私の場合、何か夢中になるものが見つかると、イッキに疲れなど吹っ飛んでしまう。ブログを始めた当初は、まさに「自己の思うことが簡単にネットに公開できる(見る人がいるかどうかは別として)」といった思いで、毎日書くのに夢中になった。そして最近、しばらく書かないでいると、何かムショーに書きたくなってきて、思わず、久しぶりに管理画面にログインしたのである。

・・・等と書いていて、読み手の人にとってはどうでも良いことなのだが(ここまで付き合って下さってスミマセン)、ビジネスの世界では、またまた旧態依然とした老害には分かってもらえない(^^;、このブログの世界であるが、イントラブログを上手く使い、成果を上げている企業だってある。例えばサッポロ飲料では、営業部門にて社内ブログで情報共有を試みた結果、販促のアイデアがたくさんアップされたり、紙文書を廃止できたり、といった効果が現れているという(参考記事)。未だに紙にハンコ押して廻しているような企業は、参考にすべきだろうと思う。

まぁ、会社に期待できなくても、自分で「LaCoocan」に「MovableType」でも入れてブログサイト構築をお勉強してみようと思う今日この頃である。

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追われる毎日(その2)

ここ最近、あらゆることが追いついてない。

ここ1〜2ヶ月の間、ブログの記事を書く暇が見つからず、溜めているネタを文章にする時間が無い。結局のところアップできないまま日付だけが過ぎて行く。ブログというものは日々の出来事やニュースに対する感想などをリアルタイムに記述するのがひとつの楽しみだと思うのだが、仕事が忙しくなってきたのもあり、また雑多な家事が増えてきたのもあってか、なかなか日付に記事が追いつかない。

「この日にはこれを書こう」というのはある程度決めている。しかし、もう1週間以上も前になると、「何を書こうとしていたのか」すら覚えていないことがある。そうするうちに日付は過ぎていくので、焦るばかりである。この間までは、朝の通勤時にモブログである程度記事を作って、会社で昼休みに記事を完成させていたのだが、厄介な(マヌケな?)コンテンツフィルタリングのせいで、ブログ関係全て(ブログというだけで)アクセスできなくなってしまったので、それもできなくなってしまった。

こうなると家で更新するしかなくなるワケだが、残業が増え、バタバタ働くようになると、帰ってから晩御飯を食べて風呂に入ると、もうフラフラだ。なんとか記事を書こうとPCの前に座るも、なかなか文章が浮かんでこない。書いてみても拙い文章になったりして中止することもある。まぁ推敲せずにそのままほったらかしの記事も随分とふるのだが(^^;。このブログだけでなく最近は英会話中級もカセットテープに録音したまま2週間遅れの状態なので、なんとか追いつきたい。

そうなると、もう時間を作るしか無い。通勤時間を利用して英会話中級のテープを聴いたりしていたのだが、電車の仲は意外に騒音が多い。走行音などは気にならないのだが、車内アナウンスや他人の話し声など、やはり「英会話」に集中できない「音」は存在する。それに耐えて集中しようとしても、隣に座る人や前に立つ人の視線が気になったりして、それもままならないのである。普通に音楽を聞くのはどうってこと無いのだが・・・。

・・・とにかく、「時代において行かれない」よう、もう少しがんばろうと、自分に言い聞かせている。

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ICタグで見える未来

ほんとに、便利な世の中になっていく、そんな実感を受ける。

「NTTデータ、日産自動車、イッツ・コミュニケーションズ、トレンディ、東急セキュリティの5社は、ICタグを活用して子どもを交通事故や犯罪から守る実証実験を、12月から横浜市で行う」とのことだ(参照元記事)。

記事による、その実験内容としては、まず近所の子供に無線LAN対応のICタグを、お守り等に入れて持たせる。そして周辺地域の住民にもICタグを自動車に装備してもらい、無線LAN基地局を電柱等に設置して、子供が持つICタグを検知する。もしICタグを持った子供と、それを装備した自動車が同じエリアに入ると、自動車に「近くに人がいます。注意して走行してください」等と注意を促す、という仕組みになっているそうだ。

子供が持つICタグは警報機が付いており、ボタンを押すと車載機や、専用の機器を設置する近所の住宅、そして子供の保護者、さらにはセキュリティ会社(東急セキュリティ)にも通報が行き、現場に警備員が駆けつけるそうだ。ただの防犯ブザーを持たせるより、より危険を察知できる可能性が高くなり、親御さんにとっては、とても安心な仕組みだろう。

この実験は、NTTデータが今年の4月から行っている“子ども見守りサービス”の第2弾ということで、実験に使われる機器を全て開発したそうだ。こういったICタグを使ったシステムは、私も、ものすごく興味があり、日夜技術や事例をかき集めては勉強しているが、なかなかそういう「トレンディ」な仕事には、お目にかかれない職場なので、いつかそういうシステムが当たり前になる日のために、「基礎知識」としてため込む毎日だ。

最近では、「ICOCA」と「PiTaPa」の相互運用が始まることが決定している(記事)など、交通系非接触ICカードにもすごく興味がある。そしてVodafoneにも最近ついに「おさいふケータイ」を搭載した機種が発売された。こういったICカードやICタグの世界は、これからどんどん進化/成長していく分野だと思う。まだいろいろ課題が多いところもあると思うが、ユビキタスな世界に向けて、これらの技術でますます便利な世の中になることを期待したい。

しかし、大人の中には、「居場所が割れる『ICタグ』など持ちたくない」とい人は、たぶん多いだろう(^^;。

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NHKの意義

確かに「やっていることは悪い」のだが・・・。

NHKが、先月発表した「新生プラン」への意見をホームページで公表した。NHKが過去に起こした不祥事に関連して国民の受信料支払い拒否が増加の一方をたどることから、信頼回復・財政再建などを挙げて公表した「新生プラン」だが、それに対して視聴者等が寄せた意見はNHKに対して厳しいものとなった。

発表時にかなりの物議を醸した「受信料不払い者への督促」に関しては、「民事手続きよりも体質改善、改革が先」と言う「反対意見」が「賛成意見」を大幅に上回った。民事手続きに関しては「公共放送にふさわしくない」というものや「それよりも未契約者への対策が先だ」とする意見が寄せられた。またスクランブル放送やCMを導入すべき、という意見も多数あった。

しかし一向に改善されない「受信料の支払い拒否」に関して、NHK会長も民事手続きを「お願いしてもダメな場合の最終手段」と言うように、そうしなければならないところまでNHKは追いつめられているのだと思う。NHKとすれば「払っていただかないとNHKが成り立たない」というのが正直なところだろう。以前に不祥事を起こし、結果的に(名前が)消滅してしまった雪印グループのことが思い出される。まぁ雪印は上層部の対応がお粗末だったのはあるが・・・。

一般視聴者からすれば、「悪いことをする奴がいる会社にはお金を払わない」というのは簡単だろう。しかしNHKの一部の人の不祥事を理由に「受信料を払わずに文句を言う」のはなにかおかしいと思う。NHKに改善を求めるなら、まずは受信料を支払ってNHKを支え、信頼回復への頑張りを「応援」することも必要ではなかろうか。文句を言う人も、NHKにはつぶれて欲しく無いはずだ。このままだと本当にスクランブル放送等が取り入れられるのかも知れない。そうなると支払わない人は視聴できなくなり、公平感は生まれるとは思うが、本当にそれで良いのだろうか。

NHK公共放送として、災害時等の緊急放送は、他の民放等の放送局とは比べものにならないくらい迅速で情報量の多い放送を視聴者に届けてくれる。その他にもテレビやラジオで放送される教育番組は(私や息子もお世話になっているが)、やはり民放と比べても充実しているし、長年のノウハウでよい番組が視聴できる。そんなNHKがお金が足りずにまともな放送ができなくなれば、困るのは日本国民ではなかろうか。

私自身、NHKの番組は多々視聴しているので、なくなって欲しく無い(^^;。

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生協の白石さん

仕事とはいえ、それ以上のものを教えてくれる(?)

最近、東京農工大学生協の職員である白石昌則さんが、学生が生協への要望を書く「ひとことカード」に、生協とは全く関係ない質問を書いても、無視せず誠意ある回答を返してくれることを知った上條景介さんが、ブログでその(学内の掲示板に張り出される?)回答の内容を紹介したところ、その真面目かつ軽妙な内容が全国に反響を呼び、白石さんと上条さんのおふたりが大学に表彰されたとのことだ。実際にこのニュースを見るまで白石さんのことを知らなかった私は、非常に気になって仕方なかった。

実際にブログ「がんばれ!生協の白石さん」を読んでみると、思わずニヤけてしまったり、「へぇー」と感心したり、時には少しジーンと来てしまったり(^^;、「真面目に考えて、練られた回答だなぁ」と思うものばかりである。その独特な雰囲気は、実際にブログを読んでもらうのがいちばん良いと思うのだが、私は読んでいてツボにハマり(^^;、思わず1時間近く読みふけってしまった。特に「夏休みが2カ月欲しい」とか「単位を売って下さい」という類の質問(?)にはキッパリと断った上で励ましてくれる、なんだか心暖まる(?)生協の職員さんである。

その内容は既に書籍化され、講談社から発刊されている。内容は「がんばれ!生協の白石さん」で紹介されている「ひとことカード」を編集したものに加えて、白石さんご自身によるエッセイや解説などを収録しているとのことだ。これも最近何かと流行りな「ブログの書籍化」のひとつに入れて良いと思うのだが、決して「ひとりよがりなつぶやき」でなく、白石さんの誠意かつユーモアのある「ひとことカード」の回答を通して、 「学生と生協職員の、微笑ましいやり取り」という、人間同士のコミュニケーションの良さに気づかせてくれる本なのかも知れない。

・・・人との文章を通したコミュニケーションの参考として、私も白石さんを見習いたいと思った(^^;。

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「性」と犯罪

やはり「男と女」がいる限り、無くなることは無いのだろうか。

ニフティのホームページに、「わいせつ事件/性犯罪」という、その手の事件を集めたコーナーがある。痴漢や児童買春、性的虐待等の事件のニュースを読んでいると、「欲望を抑えられない大人」が増えてきているんだなぁ、切に感じるのである。最近のニュースで眼に留まったのは、「『ハメ撮りの帝王』逮捕、ブログにH画像(夕刊フジ)」という記事だ。なんともこの「オヤジ」は、実名を晒して「ハメ撮り日記」を公開していた(今は削除されている)。「今まで千数百人の女性と寝た」というもんだから、ビックリしてあきれてしまう。

やはり、現在の世の中は「セックス」に溢れているのだろうか。最近の若者の(というか日本全体の)性が乱れてきている。女子中高生は(全てでは無いが)早々に処女を捨て、お金で「性」を売ったりする。もちろん最近は30代の女性も「体を売る」人が増えてきているという。まぁそれを買う「市場」ができてしまっているのが厄介なところだが、「売春」や「買春」は立派な犯罪である。決して「みんなしているから、自分もしても良い」ということでは無いのだと思う。

もちろん人間として生まれてきた以上、「性欲」は男女問わず持っているものであり、それを抑える必要は無いのだと思うが、その解消の仕方を間違うと、大変なことになる。それにしても最近は女性も性に対してオープンになったのか、簡単に体を開く人が増えたような気がする。逆に男性の中には異性に相手にされないで自分を抑えられず、売春、強姦、痴漢などの犯罪行為に走る人が増えてきたような気がする。特に目立つのが、女子中高生を相手に仕事する、教師や教育産業の人達、一般企業でも若い女性に関する仕事に就く人の中から「それ」に走ってしまう人もいた。

まぁとにかく、街を歩く異性を見て、ただ「異性として」妄想を膨らますだけでなく、今一度「男と女」から一歩引いて、「社会の中の役割」という観点で人を見る、という意識を持つことが大事なのかも知れない。他人に迷惑を掛けながらも、自己中心的に「性」に走ることは、やはり人間としてやっちゃいけないことなのだと、私は思う。

・・・私の場合は、別に気にしちゃいないが「相手にされない」ことが多い(^^;。

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運動会のナントカ

いつの時代も、どんな世の中でも、この時期の風物詩だ。

息子が来年から行く幼稚園の運動会に行ってきた。近所の小学校のグラウンドを借りて行われたその運動会は、未就園児の参加できるプログラムがあったので、家族で参加したのであった。そのプログラムは、グラウンド内に散りばめられたおもちゃや文具、カバン等を親子で拾う、といったものだった。開始されるや否や、入場門からたくさんの親子が一斉になだれ込み、品物の取り合いが始まった。

取り合いの様子
(↑こんな感じ)

ウチの息子も、連れ合いの助けもあり、カバンとプラスチックのカップ(プリン型みたいな、砂を入れて遊ぶもの?)をGETした。息子は、他の子と比べてあまり積極的で無いのだが(^^;、まぁまぁの戦果に終わった。息子は、特にカップが気に入り、雨でグラウンドの状態が悪い中、必死で土をほじくり、カップの中に入れようとしていた。そのままでは雨に濡れるので、私は息子を庇のある校舎そばに連れて行き、まだ固まっていない土をカップに入れ、息子と遊んでいた。

3歳の息子は、1つのことに集中するタイプで、この日も帰る直前まで、カップに砂を入れ続けて遊んでいた。私がカップいっぱいに土を入れ、ひっくり返してプリンのようにしてやると、息子は大はしゃぎで、何度も私に「やれ」とせがむ(^^;。運動会も見たいが、見させてくれない息子の相手をしながら、久しぶりの「運動会の雰囲気」を味わっていた。「来年は『園児の親』として参加しなければならない」と思うと、良いイメージトレーニング(?)だ。

もともと私は小学校の時から、体育は苦手だった。通知表は3段階評価(A,B,C)のCかBで、Aは取ったことがなかった。得意なものと言えば持久走(マラソン)くせらいであったが、それでもクラスの真ん中より少し上といった感じで、「1等賞」など取ったことがなかった。当然、運動会の短距離走などはいつもビリ(関西弁ではべべ)から数えた方が早かった。それでも、別に体育は苦痛でなく、小学校のグラウンドが狭かったため、隣の緑地の陸上競技場で毎年行われていた運動会の時には、いつもワクワクしていた。

体育オンチは中学、高校と変わらなかったのだが、高校時代はブラスバンドで高校の運動会や、地区高校対抗の体育大会等で伴奏を担当したので、また違った思い出がある。開会式や閉会式でファンファーレや行進曲、得賞歌(とくしょうか)等を演奏する時は、「スポーツイベントの雰囲気」と、「演奏する楽しみ」を同時に味わっていた。その思い出は、十数年経った今でも、この時期になるとついこないだのことの様に思い出されるのである。

これからは自分のことではなく、子供のイベントとして、毎年「運動会」は訪れる。その時には、自分の時代を思い起こしながら、また子供の良い思い出を作れるように、サポートしたいと思っている。昔は自治会等の交流が盛んで、ご近所同士で普通に話していた記憶があるが、最近は運動会等のイベントでしかコミュニケーションを取る場が無くなってきているので、できる限り参加して、昔ながらの交流ができるようになればと思っているのである。

・・・息子より、私自身が楽しみな「運動会」なのカモ知れない・・。

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自分のやりたいこと

最近、何がしたいのか、わからない時がある。

自分がこれまで34年の人生を生きてきた中で、現在の生活というのは、日々いろんな情報が目に飛び込み、耳に入ってくる生活だと思う。そんな情報を見聞きする中で、自分の「嗜好」や「趣味」に関することは、やはり気にもなるし、ブログで取り上げようとも思う。しかし最近、何か自分の人生が「つまらない」と感じている。それは何だろうかと、仕事や家庭、その他自分が置かれている環境に照らし合わせて考えると、自分が「どういう生き方を望み」「何を必要とし」「何が好きなのか」わからないようになってきているように感じる。

趣味でいうと、昔から私は音楽が好きで、特に日本のフュージョンを好み、自分で音楽も作って、ホームページで公開してきた。また「ものを書く」ことも好きで、それはコラムや現在のブログという形で現れているのかも知れない。自分のことを人に伝えたいと思い、友人や知り合いりメールを書くこともある。ことさら最近は皆結婚もして子供もいる友人も増えてきたので、メールによるコミュニケーションが主流になってきているのは否めないところであり、事実である。しかし最近はその「メールでの会話」も減りつつあり、少しさびしい状態である。

社会の中では、私自身「やりたいことをやれていない」感じを常に持っている。組織社会の中で、要領良くやり成果をもぎ取っていく同僚を見ながら、「不公平感」と「自分のやりたいこと」ばかり訴えてきたような気がする。自分で勉強し、ある程度身につけた技術も「業務経験がない」という理由だけで従事させてもらえず、日々モヤモヤとしていた。目の前にある仕事が「楽しかった」あるいは「つらいけど充実していた」ということは多くなく、ただ「つまらない」仕事ばかり振り向けられてきたような感じがする。

そんな中、自分が「何がやりたい」のか、時々洗い出してみるのだが、現実で考えて「道のりが遠い」ものばかり出てきているような気がする。「目標は高く持て」というが、会社や身内などの「抵抗勢力」に阻まれたり、数日経つと意欲が「自然消滅」してしまったり、自分に対して「何をしているのだろうか」という気持ちになることもある。とにかく一度「成功体験」をしてみたいと、強く考えるのである。

・・・ただ日々のウップンが溜まっているだけかも知れないが(^^;。

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仕事とストレス

私もとても、人ごとと思えない。

日経スペシャル「ガイアの夜明け」で、「ストレスに負けない!」と題して、日本のビジネスマンの「ストレス」について現状を追っていた。日本では終身雇用制が崩れ、成果主義にどんどん移行しているので、仕事に「個人の成果」が直接問われるようになり、その結果個人に多大なる負担がかかる。個人間の競争は高まり、自然的に「自分が、自分が」という「仕事や成果の奪い合い」になる。私が思うには、仕事でストレスを溜める人の中には、この「オレが、オレが」競争に勝つことができず、今まできっちりこなしてきた仕事もままならなくなった、という人も多いのではないかと思う。

私が以前在籍していた会社では、成果主義が導入される以前は皆きっちり自分の持つ仕事を「組織のために」責任を持ってこなしていたと思う。行き詰まれば上司や同僚にきちんと相談して「組織の問題」として対応していた。もちろんそこでも「個人の評価」はきっちりと行われていて、昇進もちゃんと「皆が納得できる人」がしていたと思う。つまりできない人は「いつまでもヒラ」と、ちゃんと差別化もされていた。職場内で定年の人が挨拶に来ると、皆温かい拍手をしていた。端から見ても、きっとうまく行っていたと思うだろう。

ところが成果主義になると、もうあちこちで言い古されているが「仕事の評価=個人の成果」なところがまだ多いだろう。必然的に組織内では各自が「自分の目標」に従った成果だけ追うようになる。同僚の間で「相談」するようなことは激減し、「自分の成果」のために他人をダシに使うようになる。直接の「評価者」になる上司には、なんとか「自分の成果」を解ってもらうよう、「良い評価」をもらえるよう、あること無いこと「オレがオレが」とアピールし続ける。そして実際の仕事に関わらず、上手く上司を丸め込み、良い評価をもらう人々と、実直に「組織の仕事」をこなすが、その割りには評価がもらえない、不本意な人々とが出てくる。他人を思いやることも無くなった、

そんな中で、忙しく働いているのに「自分の仕事が評価されない」と悩む人が多く出てくるのは当然で、そのストレスが原因で「うつ」になり、最悪では自殺に至る人も出ている。「2004年の自殺者数は3万2千人、特に働き盛りの30代〜50代の自殺が増加傾向にある」とのことだ。30を過ぎると、どの会社でも組織上での「役割」に変化が現れる頃だろう。良い評価を受け続けている人は昇進する時期でもある。そんな中「頑張っているのに評価してくれない」と思っている人はどんどんストレスがたまるだろう。

一度「うつ」になると、職場復帰はなかなか難しいという。私も日々の仕事で納得のいかないことが多かったが、日々、産業カウンセラーに相談してアドバイスを受け、なるべくストレスを溜めないように心がけていたが、それでもやはり「成果主義」な世の中はストレスが溜まりやすい。なんとなく「何をしても面白くない」と感じることもあるが、そういう時はさっさと食べて風呂に入って寝てしまう。「うつ」にならないべく、日頃からWeb等で情報収集して、ストレス対処法を探っている。

虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメの著者である、東京大学 大学院経済研究科・経済学部教授の高橋伸夫氏は、「成果主義では業績や成果を客観的に評価し、それを賃金に連動させ、モチベートしようとします。しかし、このこと自体がまったく無茶なこと」と言い切る。「主観的かつ多面的である評価を客観的に評価し、点数を付けるには無茶がある」とのことである。私自身もその通りであると思う。結局「成果主義」といっても、各々が掲げた「目標」の成果「のみ」で評価されていることが決して無い、という事実は、山ほど知っているからである。

とは言っても、一度「成果主義」を取り入れた会社が「年功制」に戻すのは会社の体面から行っても難しいだろう。特に「制度」躍起になって取り入れようとした「人事部門」の「評価」が悪くなってしまうので、最後は「宗教」のように「成果主義〜、成果主義」と唄い続けるしか無いのだ。日本が「長い低迷」から抜け出すのは何時か。もちろん大企業だけでなく、中小企業も含めた「景気回復」には、こういった「仕事に対する評価」を見直すことが、大事なことのうちのひとつ、と私は思うのである。

・・・「自分のケース」に当てはめると、ゾッとする(^^;。

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「自分が、自分が」

そんなにがっつくのは「何故?」と思ってしまう。

@ITで、「正しい行いは将来を変える」という、野村隆氏(eLeader主催)の記事を読んだ。「日々の生活の中でちょっとした善いことをすると、それが自分に返ってくる」というお話である。たとえば記事に書いてある「車で右折を譲るとき」、「エレベータで『開』ボタンを押して先に他の人を降ろすとき」等、ちょっと「善いこと」をしてあげることは、実は私は結構ある。片道1車線で右折レーンが無い場合など、右折車の後ろに車が渋滞しているような状態では、交差点手前で止まってパッシングをして相手に知らせてあげる。たいていの人は手を挙げてお礼の気持ちを示してくれる。

エレベータの場合も、会社や量販店などの公共の場でエレベータに乗ったときに、たまたまボタンの前に立ったときは、ほとんど必ず「開」「閉」ボタンを押して、乗り降りがスムーズに行くように心がける。会社の人などは知っているひとばかりなので、たいていの人は「ありがとう」「すみません」という言葉をかけてくれる。お店などでも「どうぞ」と声をかけると、だいたいの人はお礼の言葉を返してくれ、そして降りて行く。

しかし、最近はそんな「善意に対するお礼」が言えない人は、確実に増えていると感じる。右折を譲っても、エレベータで譲っても、礼のひとつも無しに行ってしまう人は多い。私が男性の目から見ているからかも知れないが、特に女性に多いような気がする。確かに「他人と関わりたくない」という意識は人間は少なからず持っているのかも知れない。しかし、人に譲ってもらったり、善意に対して「無反応」で過ぎていくのは、少し悲しくなってしまう。交差点で道を譲っても、こちらに一瞥もくれずに行ってしまう。エレベータなどでは、目的の階止まりそうになるや否や、我先にとばかりドアの方に詰め、開くと同時に降りていってしまう。いやはや、そんな人たちは親などに「人との接し方」を教えてもらっていないのであろうか。

少し前に、こんなことがあった。連れ合いと量販店で品物を手に取りながら選んでいた時に、小学生くらいの子供の姉妹が、いきなり私たちの前に割り込んで、「ねぇねぇ、これイイよ」等と話し始めた。私たちは、子供たちの露骨な割り込みに、不快感を隠せかなったが、その子供の母親と祖母と思われる女性が横に立っていたが、何も言う様子が無い、私たちが仕方なく売り場から離れると、その大人ふたりは売り場の前を「占領」し、何事も無かったかのように商品を見ていた。そのとき私は、「親も、その親も何も教えていないんだな」と思った。

確かに他人に関わらなくても、なに不自由なく生活できる。企業も成果主義を導入し、「オレがオレが」言ってないとやっていけない社会にもなっている。しかし、「人のありがたみを知る」ということを親は子供に教えていかなくてはならないのではないだろうか。

・・・自分もしっかりしないと、と思う今日このごろである。

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可哀相な子供たち

子供たちが「自分の親」から被害を受けている、という現状がある。

最近、親が自分の子供を「虐待」する事件が増えているように感じる。今日(8月17日)も3件の「虐待事件」があった。

1歳長女殴り死なせる 長野、43歳母を逮捕
生後1カ月の次女虐待の疑いで父親逮捕 群馬
9歳女児殴り庭に埋める 傷害容疑で義父を逮捕

わが子に暴力を振るい、傷を負わせたり、死に至らしめるという最悪な事件もある。この親たちは、自分の子供が泣きわめいたり言う事を聞かなかったりしたときに、カッとなって止まらなかったのか、善悪の判別がつかなかったのか、自分の子供を「少し痛い目に合わせる」以上のことをしてしまった。私も3歳になったばかりの息子がいる。確かに言う事を全然聞いてくれない時に、思わず叩いてしまうことがあった。もちろん少し頭を叩く(はたく)程度であるが。

しかし、知り合いか誰かから「子供を叩くと、他の子を叩く子になって、また大きくなったら仕返しされるよ」というようなことを聞いてから、叩くことを極力やめることにした。しかしあまりにも自分に背く場合にガマンできないことがある。その時は叩く代わりに大声を出してしまうことがある。あまり大きな声で叱っても逆効果だということも分かっているが、ついつい出てしまうのである。

最近は息子も「怒られている」ことが分かるので、怖いのか泣いてしまうことがある。そんな時、私は「怒りすぎた」ことに気づき、息子を抱きしめて「ごめんね」と言うのである。AC(公共広告機構)の「子供を抱きしめてあげて下さい」というCMが過去にあったが、あれは本当に効果があると思う。息子は泣いていても、怒っていても、私が抱きしめると機嫌を直してくれることが少なくないのである。逆に、怒られて泣いたら、すぐに抱きついてくる。これは「怒らないでという子供からのサインなのかも知れない。

息子は私たち夫婦にとって初めての子供なので、いろいろ試行錯誤しながら、ひとつひとつ学びながら生活しているようなものである。そして息子も3年と少し、いろいろなことを覚えてきた。最近はすぐに親の真似をする。親の真似をして、叫んだり、場合によっては私たちに手を出してくる。まぁ3歳児なので、大した「攻撃」にはならないのだが(^^;、このまま成長して「平気で人を殴る子」になってしまわないかと心配なので、なんとかしてやめさせたいと思う。

そしてそれは、親が気をつけなければならないことだ。「叩くことは悪いこと」と教えなければならない。そのためには「親は子供を絶対に叩いてはいけない」のだと思う。もちろん子供には「しつけ」も、我慢させることも必要だが、ストレスでバクハツしないように、気を配るべきだとも思う。子育ては毎日がわからないことばかりで、なかなか上手く行かないのが実際のところだが、そのストレス親自身がため込んではいけない。ましてやそれを子供に向けるなんて持ってのほかだ。

子供に対して虐待を続ける人は、ストレスをうまく発散できない人なのかも知れない。ストレスと向き合い、うまく解消する方法を日々考えないといけないのだ。どの親もきっと、毎日「子供の笑顔」を見たいはず。しかしそれは「親が笑顔で」あることが一番大事なのだと思う。

私自身も気をつけなければならないことである。(最近笑顔が少ない・・・)

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お盆に休む?

お盆に「夏休み」を取る人は、まだまだ多いのか。

毎年、夏にやって来る「お盆」の季節。ネットで検索してみると、以下の情報が判明した。

・お盆の正式名称は「盂蘭盆会」(うらぼんえ)
・先祖の精霊を迎え追善の供養をする期間を「お盆」と呼ぶ。
・「盂蘭盆会」とはインドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したもので、 転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味。

・・・等々である。(参考にしたページ)

#ちなみにこの(参考にした)ページでは、お盆のことについて詳しく説明がされている。ほんとに、こういった情報を無料で提供して下さる方々には頭が下がる思いである。

いつも私たちが軽々しく「お盆」と呼んでいる時期は、仏教に由来するもので、本来この時期は「迎え火を焚き、先祖を招き入れる」「僧侶を呼びお経をもらう」「送り火を焚いて先祖を送り出す」云々かんぬんのことをしなければならない、とされている。私も祖父や祖母、父親の初盆の際にはこのような「行事」を手伝った覚えはある。信仰心の強い人は、おそらく毎年のようにこのような行事を当たり前の様に行うのかも知れない。

しかし最近では、特に客商売等で会社としてまとまった休みが取りにくい職場等では、交代に休みを取ることになる。私が勤めていた会社も、例えば「6月〜10月の好きな期間で『夏期休暇』を取得可能」という決まりがあった。止められないコンピュータの面倒などを見なければならないシステムエンジニアやオペレータ等だと、どうしても「お盆に休む」のは「早い者勝ち」になってしまったりする。こういう環境だと「お盆」を強く意識することはあまり無いのかも知れない。

「お盆に出勤」となると、お盆期間は通勤客が極端に減るので、通勤は楽である。「なんでこんな時期に仕事・・・」などとグチるのは簡単だが、逆にお盆なんかに休んでも行楽地や遊戯施設等はどこも超満員であろう。下手すると「お盆価格」なんて割り増し料金をふっかけられることもあるのだ。やはりお盆に休むなら、きっちり実家で先祖を供養し、墓参りもしなければならない、という風に考えた方が良いのだ。普段顔を合わさない親戚などとも会えるチャンスでもある。

まぁ仮にお盆に休まなくとも、お盆期間中は先祖を敬う心を少しでも頭に入れておけば良いのでは、と私なんかは思う。もし9月くらいに取るなら「後で参るから待っててね」くらいの気持ちでいれば、きっとご先祖さまも許してくれるに違いない(!?)

・・・見えない人々に対して自分の都合を押しつけたらバチがあたるかな(^^;

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日航機墜落事故

あれから、もう20年近くにもなる。

ふと目にした産経新聞の夕刊に、日航機墜落事故に関するコラムが記載されていた。

事故が発生したのは昭和60年(1985年)の夏。日本航空の旅客機が、離陸から12分後に伊豆半島上空で「ドーン」という衝撃音とともに、制御不能に陥った。そしてダッチロール(機体が8の字を描く状態)になり、衝撃音から31分50秒後に群馬県の御巣鷹山の山中に墜落した。

私はその時中学2年生で、従兄弟の家に遊びに行っていた。あまりもの事故の衝撃が頭に焼きつき、その晩なかなか寝つけなかったのを覚えている。歌手の坂本九さんも事故で帰らぬ人となり、明石家さんまが「あの飛行機に乗る予定だったのをキャンセルした」ことをテレビで話していたのを覚えている。

記事に記載されていた、高橋雅己機長、副操縦士と航空機関士の、ボイスレコーダーからのやりとりの一部を読んでいると、衝撃音から墜落までの様子が克明に記されている。機長昇格試験を兼ねて操縦していた副操縦士が、懸命に機体を立て直そうとする様子、その副操縦士に対して「気合を入れろ」「頑張れ」と励ましたり、いろいろと指示を出す機長や航空機関士、必死の建て直しの甲斐も虚しく機長の「ああ だめだ」という言葉を最後に、衝撃音が2回鳴り、録音終了となった。私はその様子を読んで、改めて事故の悲惨さを思い出し、目が潤んだ。

そして、事故から20年の今年、この日航機墜落事故を扱ったノンフィクションドラマがフジテレビ系で「8月12日」という、事故が発生した日付に放映されるそうだ。遺族の「絶望と苦しみに満ちた20年をドラマとドキュメンタリー映像を交えて描く」という。緻密な取材と当時の報道映像を交え、より事故の真実にせまるドキュメンタリーと、報道では伝えられない当事者の心情等を表現するドラマ部分とで構成されるそうだ。(サンケイスポーツ記事より)

当時も暑い夏だっだであろう。事故に遭われた方々やその遺族・関係者の方の無念や悲しみは計り知れない。そんな520名の命を奪ったこの日航機墜落事故について、この20年を機に再び見つめなおす機会が来たことは、当事者の人々は複雑なのかね知れない。しかし、事故とは関係無い私たちにも、再度この悲惨な事故を認識し、今後の航空機や、その関連産業のあり方を考える機会になるのだと思う。

こんどの8月12日には、このドラマを見て、考えてみたいと思う。

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解決しがたい・・・

「え?ウソ?・・・」という感じだった。

サイバーエージェントの藤田晋社長と、女優の奥菜恵が離婚した、というニュースを聞いた。藤田社長は最近も話題にしたばっかりで、ついこないだもライブドアの堀江社長との「ウェディング頂上対談」で幸せそうに語っていたのを知っていた。オキメグは個人的にはかなり昔(10年くらい前)に好きだった(^^;のだが、「超玉の輿結婚」と言われたぐらいで、「ずっと幸せな毎日なんだろう」と思いこんでいたのだが、急なニュースにビックリした。

そもそも藤田社長は平日も土日も関わらず「働きまくる」人で、楽しい結婚生活が送れていたのかはギモンなのだが(^^;、対談を見る限り、「本を読んだり、買い物や映画に一緒に行ったり」と語っているので、ふたりで新婚生活を楽しむ時間はあったようなので、やはりつい最近までは幸せだったに違いない。しかし何が起こったのか、藤田社長のブログ「渋谷ではたらく社長のblog」には、今回の離婚の経緯が本人の言葉で綴られている。

「つい先日、解決し難い問題が生じました。」

・・・この言葉の真相は本人同士にしか分からないと思うが、スポーツ誌等からは不倫のウワサも持ち上がっている。まぁこういった記事は「憶測」とか「想像」とかで書く人もいるからあんまりアテにはならないが(^^;、二人の間にはもはや修復し得ないものができてしまい、離婚に繋がってしまったのだろう。私個人的にも「うまく行ってほしい」お二人だっただけに、少し残念な気がする。(「ほっとけや」と言われそうだが(^^;)

私も結婚して8年近く経つ。思えば新婚当初は考え方の違い等で、夫婦でいろいろケンカしたものだ。それこそ「離婚だ!」とあれこれ言い合ったものだが、それも今となっては思い出だ。特に息子が生まれてからは、ケンカになっても長引くことは無くなった。新婚当初は何事も「ふたりで」することが多く、家の中にはお互いしかいないので、何かと腹が立つと必然的に「相手に集中砲火」になってしまうのだが、子供ができると、そっちの方にも意識が向くので、あまり激しいケンカはしなくなるものだろう。

まぁそれでもガマンできない時はバクハツすることもあろうが(^^;、やはり「子はかすがい」ということわざもあるように、子供のことを考えると簡単に離婚できない。別に離婚したいわけでも無いが(^^;、やはり家族皆、仲良く、末永く暮らすことができるのは、この上無い幸せでは無かろうか。しかし、それでもやはり「解決しがたい」理由で別れてしまう夫婦はいるわけで、それは最終的にはお互いの価値観や人生観で決めるものなのだろう。もはや今の社会、離婚したからと言ってとやかく言われる時代じゃないと思う。藤田社長、そしてオキメグも、今後もそれぞれの分野でご活躍されることだろう。

・・・自分は「離婚」にはならないようにしたいものである(^^;

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「働きがい」を求めて

人それぞれ、いろんな人生がある。

「ライブドアキャリア」に掲載されていた、ライブドア堀江貴文社長とサイバーエージェント藤田晋社長の対談を読んだ。共に30代でベンチャー企業の社長として活躍している両氏の話は、年齢が近い私にとって非常に興味があった。

対談記事を読んでいくと、今や俗にいう「大企業」に就職しても何のメリットも無いにも関わらず、未だに若者の「大企業志向」が根強いことに、両社長は憂いを感じているようだ。ちなみに私はそれなりの「大企業」に就職し、その後子会社へ転籍、そして別の会社に転職した。会社を移る度に社員の数は少なくなっているが、その分任されることも多くなってきていると感じる。まぁその分、余計な仕事も増えてくるワケだが。

俳優の今井雅之氏も「リクナビNEXT」の人気(?)コーナーである「叱ってちょーだい」の中で、自身が独立の際に経営に関することを覚えるのに苦労したことから「独立はしんどい面もある」と語っている。独立は究極の選択肢だが、「やりたいこと」を実現するなら、それを事業としている社員の少ないベンチャー企業を狙うのもひとつの選択肢だと思う。独立や少数ベンチャーを選ぶと「やりたくないこと」も同時に付いて来るのは必然的だ。まぁしかし大企業で「やりたくないこと」だけ押しつけられるよりはマシかも知れないが(^^;。

上記の社長対談を読んでいて面白いと思ったのは、堀江社長と藤田社長の人材や働き方に対する考えがある意味正反対であるということだ。堀江社長が欲しい人材はズバリ「“頭いいヤツ”・“金稼ぐヤツ”」で(^^;、また「周りに合わせたくないわがままな」人には向いている、とも言う。藤田社長は「夢を持って仕事できる」「チームプレイができる」「周りに気を使う」人を望むそうだ。働き方についても堀江社長が「効率良く仕事して、たくさん給料もらう方が良い。週5日、1日8時間で仕事をこなせる人が理想」という旨の発言をしているのに対して、藤田社長は「夜遅くまで仕事することが多い」そうだ。これは藤田社長も言っているように「カルチャーの違い」なのだろう。

しかし両社長が口を揃えて言うのは、「ベンチャーはポストを任されやすい」ということだ。大企業等では社員の「道筋」はある程度決まっていて、ほぼ「それに沿った」出世をしていく。最近は「成果主義」で収入は成果により変動する様になったが、とある成果主義の先駆け企業では、「人事の決めた年功的な『道筋』に沿って成果を挙げている人を評価する」という、何のための成果主義かわからない会社もあるので、ベンチャーのようなドラスティックな出世はまず期待できない。もし大胆な抜擢人事などしようものなら、周りのイジメに合うことだろう。それに耐えられる人しか出世できない仕組みができているのである。

・・・少々グチも入ってきたが(^^;、最近は「やりがい」「働きがい」を求めて転職する人が増えている。特にIT業界では転職市場も未だ活発だ。完全に「やりたいこと」と一致する会社や職場はそう無いと思うが、理想となる仕事がどうしても実現できないような職場なら、移ることを積極的に考えることのできる土壌は出来ているのである。成果主義の影響からか「エンジニアの限界」と言われる35歳のボーダーは上がってきているみたいなので、これまであきらめていた30代、特に40に近い人でも今後チャンスは増えてくるだろう。

要するに「ありつけない」とクサってちゃ、ダメなのである。

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「SE」の未来

実は簡単そうで、難しいものなのかも知れない。

今般、日本の「終身雇用」は早々に崩れ、特に若い人にとっては「転職は当たり前」の世の中になって来ている。企業側も「第二新卒」という言葉を使うように、入社して何年もしないうちに他社へ転職してしまう人たちも多い。私のいるIT業界も、最近のオープン化やWeb化の流れで、転職しやすい業界のひとつだと思う。

昔は「ホストコンピュータ(メインフレーム)にCOBOL」という時代で、それさえ知っていたら十分にメシが喰えていた時代はとっくに終わり、ひと言に「システムエンジニア」と言えない時代になって来ている。大きくは「アプリケーション」「データベース」「ネットワークエン」等、その専門性に分かれて呼ばれることが多い。役割的にも大きくは「プロジェクトマネージャ」系と「スぺシャリスト/コンサルタント」系に分かれるところが多い。

しかしそんな時代の移り変わりの中で、何でもチャレンジしていた「システムエンジニア(SE)」から、専門や役割に沿って働くという世の中になってくると、必然的に「できること」の範囲が狭くなるような気がする。以前のように「何でもカンでも」手を出せなくなる。もっとも、これは組織の大きさや、経営(人材育成?)方針によっても大きく変わるだろう。大企業とベンチャー系では個人に任される裁量が大きく異なると思う。

「SE」のための職種やキャリアパスは、最近は経済産業省の「ITスキル標準(ITSS)」をもとにして各社がアレンジして定めているところもあり、入社したての若者は「自分の未来」を描きやすいと思う。しかし例えば10数年前に「SE」として社会に出て、何でもやらされた挙げ句に専門性が認められない私などの場合、「これで行こう」と思っても、その通りの仕事にありつけないことが多い。いろいろワガママも言ってられない歳なのかも知れないが(^^;、どれだけ歳を取っても、できれば「自分のやりたいこと」をしたい人、という人は多いはずだ。たとえズバリでなくても、新しい技術や方式等、比較的「やりがいのある」仕事を求めるのは人間として当たり前と思う。

結局は本人の自己主張が大事なのだが、会社がそれを希望通りに聞いてくれるかというと、そうばかりでは無い。逆に上司の反感を買い、畑違いの仕事を押しつけられることもあるのかも知れない。よく「前向きに」と言う言葉を耳にする。しかし個人が「前向き」でも会社や組織が「後ろ向き」だとどうにもならない。もちろん、やりたい仕事を巧く引き込む「ヒューマン・スキル」も重要だろうが、「事無かれ主義」「えこひいき」等、せっかくのやる気もスポイルされるような職場だと、スキルではなくてストレスがどんどん溜まる(^^;。

あまりにも改善が望めない時には「転職」という選択肢も考えられるが、「エンジニア35歳限界説」と言われるように、特に30を過ぎると求人自体が減り、増してや「希望通りの仕事」を求めれば更に厳しくなってくるだろう。年齢が上がると「やり直し」も効かなくなって来るので、余計に焦るところだ。動くなら早いに越したことは無いのは確かだろう。

30代のSEは特に「テクノロジー」と「マネジメント」の狭間で迷う時期だと思う。ここでも上司の期待と自分の志向がズレることが多いだろう。しかし結局のところは将来を見据えて、現在の自分にできることをひとつずつ伸ばして行き、「成長」を感じることが大事と思う。その「成長」が組織に認められれば残るべきだろうし、そうでなければ移ることを考えた方が良いのでは、と思うのである。ガマンして潰れるより、最終的には自分が納得できる道を選びたい。

「SEの未来」は「個人のヤル気」でどうにでも変わるのかも知れない。

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